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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)867号 判決 1983年1月27日

控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。) 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 小池義夫

被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。) 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 内田剛弘

同 水島正明

主文

一  控訴人の控訴に基づいて原判決を次のとおり変更する。

3 控訴人と被控訴人とを離婚する。

2 控訴人と被控訴人との間の弐女夏子(昭和三八年一一月一二日生まれ)の親権者を被控訴人と定める。

3 被控訴人は控訴人に対し金七〇〇万円及びこれに対する本判決確定の日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4 被控訴人のその余の反訴請求を棄却する。

二  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、第二審及び本訴、反訴を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

一  求める判決

1  控訴人

(控訴の趣旨)

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) 控訴人と被控訴人とを離婚する。

(三) 控訴人と被控訴人との間の弐女夏子(昭和三八年一一月一二日生まれ)の親権者を控訴人と定める。

(四) 被控訴人は控訴人に対し金一、七三九万円を支払え。

(五) 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

(附帯控訴の趣旨に対する答弁)

主文第二項と同旨。

2  被控訴人

(控訴の趣旨に対する答弁)

本件控訴を棄却する。

(附帯控訴の趣旨)

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) 控訴人と被控訴人とを離婚する。

(三) 控訴人と被控訴人との間の弐女夏子(昭和三八年一一月一二日生まれ)の親権者を被控訴人と定める。

(四) 控訴人は被控訴人に対し金一〇〇万円を支払え。

(五) 訴訟費用は第一、第二審とも控訴人の負担とする。

二  主張

次に訂正・付加するほかは、原判決の事実摘示(原判決二丁表五行目冒頭から同九丁表五行目末尾まで。ただし、同二丁表六行目冒頭から同裏三行目末尾までと同五丁裏九行目冒頭から同六丁表五行目末尾までを除く。)と同一であるから、これを引用する。

1  (1)原判決二丁裏四行目冒頭の番号「三」を「一」と、(2)同六行目に「届出をなした」とあるのを「届出をした」と、(3)同九行目の「婚姻前より」から同一〇行目末尾までを「婚姻前からA新聞社に文選工として勤務し、今日に至っている。」と、(4)同四丁裏三行目に「子らは、いずれも」とあるのを「未成年の子、弐女夏子は」と、(5)同四行目に「子女二名」とあるのを「同女」と、(6)同五丁表五行目冒頭の番号「四」を「二」と、(7)同裏三行目に「子らの希望の事実」とあるのを「夏子が控訴人との生活を希望している事実」と、(8)同六丁表六行目冒頭の番号「三」を「一」と、(9)同八行目の「被告と原告とは、」から同裏八行目末尾までを「被控訴人は、婚約の際、被控訴人が長男であるため結婚後は東京都東村山市《番地省略》の被控訴人の両親方で両親と同居することを控訴人との結婚の条件としたのであったが、控訴人は被控訴人の両親との折合いが悪いためか、結婚当初しばらくの間は同居したものの、間もなく両親との別居をいい出した。そのため控訴人と被控訴人は埼玉県武蔵関に借家を見つけて移転したのであるが、控訴人はさらに控訴人の両親が住んでいる千葉県我孫子市《番地省略》付近に引っ越すことを希望し、昭和三〇年代末ごろ、右両親方と徒歩で四、五分のところに転居した。そして、昭和四〇年に本件土地を購入し、昭和四五年に本件建物を建築して、一家はここを住居とするようになったのであり、昭和五四年八月二五日に控訴人が家を出てからは、被控訴人と二人の子が本件建物で生活している。」と、(10)同七丁表一行目の「原告は」から同二行目末尾までを「控訴人は被控訴人のための朝食の準備をせず、退社後帰宅しても食物を用意しないため、被控訴人は」と、(11)同一一行目に「婚姻前より」とあるのを「婚姻前から」と、(12)同八丁表五行目に「子女二名は、いずれも」とあるのを「未成年の子、弐女夏子は」と、(13)同裏一行目冒頭の番号「四」を「二」と、(14)同五行目に「各移転した」とあるのを「順次転居した」と、(15)同八行目に「子女二名」とあるのを「二人の子」と、(16)同九丁表一行目に「婚姻前より」とあるのを「婚姻前から」と各訂正する。

2  (1)原判決八丁表六行目の「親権者」の前に「同女の」と、(2)同裏三行目の「婚姻当初」の前に「控訴人と被控訴人とが」と、(3)同七行目の「家を出て」の後に「被控訴人と」と付け加える。

3  原判決三丁表七行目の「同様」のあと、同裏五行目の「破壊したり」のあと、同四丁表八行目の「原告」のあと、同裏一〇行目から一一行目の「結果」のあと、同五丁表一〇行目の「原告」のあと、同裏一行目の「認めるが」のあと、同七丁裏五行目の「爾来」のあと、同八丁裏九行目の「認めるが」のあと及び同九丁表二行目の「認めるが」のあとにいずれも「、」、同七丁表一〇行目の「方がいいわ」のあとに「。」を付す。

三  証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、控訴人は昭和六年二月一五日東京市麹町区において乙山梅五郎・ウメ夫婦の長女として出生した者であり、被控訴人は昭和五年一〇月二五日横浜市中区において甲野松一郎・マツ夫婦の長男として出生した者であるところ、両名は控訴人の叔母の紹介で見合いをし、三か月ほど交際したあと、昭和三六年五月二四日事実上の婚姻をし、同年六月一二日その届出をしたものであり、二人の間には昭和三七年六月四日生まれの長女春子と昭和三八年一一月一二日生まれの弐女夏子の二子があること、が認められる。

二  そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  控訴人・被控訴人夫婦は、結婚当初、被控訴人の希望で東京都東村山市所在の被控訴人の実家で両親及び妹と同居したのであったが、控訴人・被控訴人夫婦、特に控訴人と被控訴人の母親との折合いが思わしくなく、母親の方から家を出てほしいといわれたので、控訴人・被控訴人夫婦は半年後に埼玉県武蔵関に六畳一間の借家を見つけて転居した。ここでの生活は約二年間に及び、その間の夫婦仲は円満であり、夫婦の間には長女春子が生まれ、控訴人はさらに第二子(弐女夏子)を身ごもった。ただ、その間、控訴人は、始終、住居が狭く日当りが悪いことに不平をもらしていたところ、千葉県我孫子市に居住する控訴人の実家の母親がその住居の近くに頃合いの借家を見つけ、転居を勧めたので、昭和三八年の夏、控訴人・被控訴人夫婦は一家を挙げて右借家に引き移った。しかし、もともと、被控訴人は、控訴人がその実家とのかかわりを深めることに内心快く思っておらず、右転居には余り乗り気でなかったところ、我孫子市へ移ってからの控訴人は足繁く実家に出入りすることはもとより、近くの友人方を訪ね、あるいは地元町内会やPTAの役員などを引き受け、その所用で外出することも少くなかった。そのため、控訴人が常に家庭にあって家事に専念することを希望する被控訴人としては、このことに不快を感じ、控訴人が炊事、洗濯等の家事をおろそかにするといって不満を訴え、時として、控訴人に対し、その外出の妨げをし、あるいは控訴人を排して自分で着衣を洗濯するなど、意地の悪い行動に出ることもあった。一方、控訴人としては被控訴人のこのような屈折した内心の動きを察して自らを省みるまでには至らず、後記のような被控訴人の家庭生活における日常態度や性生活に対する双方の感覚の相違ともあいまって、控訴人の右のような行動に反感を抱き、こうして、二人の間に生じた感情的な食い違いは、次第にその溝を深めていった。

2  ところで、被控訴人は結婚以前からA新聞社に文選工として勤務し、賃金のほか、賞与等の支給も受けていた。しかし、控訴人は、結婚当初に一度だけ被控訴人から賃金の明細表を見せられただけで、結婚以来一度も被控訴人がその勤務先からどれほどの賃金・賞与等を支給されているのかを教えられたことはなく、ただ、毎月生活費としてさほど多くない額の金員(後記のとおり控訴人が家を出た昭和五四年八月当時で一か月金一三万円)を手渡されるにすぎなかった。そのため家計費の支出に不足を来たすこともあったが、このことを訴えても、被控訴人の機嫌を損ねたり、怒りを買ったりするので、控訴人は極力支出を切り詰め、遣り繰りすることが多かった。特に、控訴人・被控訴人間の子女は二人とも私立の高等学校に進学し、その入学時にはかなりの金員を必要としたが、被控訴人は、公立の学校へ入れないのなら進学させる必要はない、などといって進学費用の支弁に協力しようとしなかったため、控訴人はあちこちから借金してこれを調達した。また、被控訴人は、昭和四〇年に金一六二万円で本件土地を入手し、昭和四五年におよそ金五〇〇万円を費やして本件建物を建築したのであるが、このことについて控訴人は何の相談も受けたことがなく、これらの資金がどのようにして調達されたのかを知ることもできなかった。

3  また、控訴人は、元来、夫婦の性生活については潔癖にすぎる性向があり、これに積極的ではなかった。特に、一家が我孫子市へ移り、控訴人と被控訴人との間に感情的な溝が生ずるようになってからは、控訴人は被控訴人との性交渉を嫌い、これを避けようとする傾向が次第に強くなった。これとは逆に被控訴人は性的欲求が強く、勤務の関係で夜間仕事に就き、日中在宅することも少なくなかったが、このようなとき、被控訴人は控訴人に対し日中でも性交渉を要求した。これに対して控訴人は性来の潔癖な性格から被控訴人のこのような態度を嫌悪し、子供らの手前をはばかって頑なにこれを拒絶した。そのため欲求不満に陥った被控訴人が無理にでも目的を遂げようとして、控訴人を抑えつけ、殴る、蹴る、あるいは家財道具を投げつけるなどの暴力を振うこともしばしばであり、控訴人において近隣の居住者の助けを借りて騒ぎを治めたこともあった。

4  こうして、我孫子市へ移ってから以後、控訴人と被控訴人との間には夫婦としての対話はもとより、夫婦らしい感情の交流もすっかり失われ、食事の内容のことなど、日常のささいなことにも感情を逆立て、対立を繰り返す毎日を送るようになった。そのため控訴人と被控訴人とは、昭和四二年に一旦協議離婚をすることに合意し、離婚届を作成するまでに至ったのであるが、このときは、子供が未だ幼少であったことなどもあって、踏ん切りがつかず、あいまいのままに終った。そうするうち、控訴人・被控訴人の一家は、昭和四五年八月、新築した埼玉県所沢市の本件建物に引き移ったのであるが、二人の夫婦仲は悪くなるばかりで、控訴人は二階で、被控訴人は一階で起居するという状態にまでなってしまった。そこで、控訴人は、子供たちも成長しそれぞれに分別がつくようになったので、昭和五四年八月二五日、被控訴人の承諾のもとに、単身家を出て、同じ所沢市内の肩書アパートを借りて別居し、今日に及んでいる。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、控訴人と被控訴人間の婚姻関係は、遅くとも控訴人が被控訴人の承諾のもとに別居生活をはじめた昭和五四年八月二五日以降破綻を来たし、これを継続することが困難な状況にあるということができ、控訴人、被控訴人ともこれを継続する意思のないことは、本件訴訟において互いに相手方に対して離婚を求めていることによっても明らかである。

ところで、婚姻は、その性格、ものの考え方・感じ方、それまでの生活歴等を異にする一組の男女が結合して共同生活を営んでいくものであるから、互いに相手方を十分に理解し、精神的、物質的、肉体的のあらゆる部面にわたって相互に協力し、扶助するのでなければ、とうていその目的を全うすることは不可能である。前認定の事実によれば、本件においては、控訴人、被控訴人の双方ともに婚姻生活というものが右のようなものであることについての深い理解を欠き、相手方を思い遣る心の広さを持ち得ないで、それぞれが身勝手な態度・行動に終始して衝突を繰り返し、相互に相手方に対する愛情や信頼を失っていったものであり、控訴人と被控訴人間の婚姻関係が破綻を来たしたのはここにその原因があるということができる。してみると、その責任は控訴人と被控訴人のいずれの側にもあり、しかも、その間に軽重の差を認めることは困難であって、このような場合には、夫婦のいずれの側からも相手方に対し離婚を求めることができると解するのが相当である。

したがって、控訴人の本訴請求及び被控訴人の反訴請求中、それぞれ相手方との離婚を求める部分はいずれも理由がある。

《証拠省略》によれば、控訴人・被控訴人間の二人の子は、控訴人が被控訴人と別居したあとも被控訴人の許にとどまり、現在も生活を共にしており、いずれも既に高等学校を卒業して定職に就いていること、が認められ、長女春子は本訴の係属中に成人に達し、弐女夏子も既に一九歳であって成人に達するのも間近い年齢であることを考えると、同女の親権者は被控訴人と指定するのが相当である。

三  そこで、控訴人の財産分与の請求について検討するに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、(1)控訴人・被控訴人夫婦にかかわる財産としては、被控訴人が現在その住居としている本件建物とその敷地である本件土地があり、これらはいずれも被控訴人の所有となっていること、(2)本件土地は昭和四〇年に売買により取得したものであるところ、その代金一六二万円のうち、金九〇万円ないし金一〇〇万円は被控訴人の手持資金と勤務先からの借入金をもってこれに充て、残りの金六〇万円ないし金七〇万円は被控訴人の母親に拠出してもらったものであり、勤務先からの借入金三〇万円はその後分割払の方法で全額返済したが、母親からの拠出金については何の処置もしていないこと、(3)本件建物は昭和四五年に附帯工事費を含めておよそ金五〇〇万円で新築したものであるところ、このうち金二五〇万円は被控訴人の手持資金と勤務先からの借入金をもってこれに充て、残りの金二五〇万円は被控訴人の母親に拠出してもらったものであり、勤務先からの借入金一〇〇万円についてはその後分割払の方法で返済しているが、控訴人が被控訴人と別居した昭和五四年八月現在で、なお金四九万円が未払となっており、一方、母親からの拠出金については何の処置もしていないこと、(4)昭和五五年一一月二〇日現在の時価をもって評価すると、本件土地は金三、〇三五万円、本件建物は金四四三万円の財産的価値を有していること、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

右事実に、控訴人・被控訴人夫婦には結局当時これといったほどの財産はなく、結婚後、控訴人は家庭にあって家事や子女の養育に従事し、被控訴人は引き続きA新聞社に勤務し、一家の生計は主として被控訴人の勤務先からの収入により維持されていたことなど、前述した事実関係を合せると、本件土地のうちのおよそ三分の二相当分及び本件建物のうちのおよそ二分の一相当分は婚姻中に夫婦の協力により取得できたものとみるのが相当である。そして、《証拠省略》によれば、控訴人は被控訴人と別居する際、冷蔵庫、洗濯機、食器棚など家財の一部を持って家を出、そのあとは賃貸アパートの一室を借り、単身で生活しているのであって、生活維持のため埼玉県所沢市内の商店に勤務し、一か月金一五万円ほどの賃金収入を得ていること、が認められ、そのほか、前認定の事実にみられる婚姻後これが破綻に至るまでの経過並びに被控訴人の職業、資産、収入、支払能力及び被控訴人は今後本件土地建物に引き続き二人の子とともに居住し、生活の本拠とするものと予想されることなど諸般の事情を合せ考えると、離婚に際し、被控訴人は控訴人に対し金七〇〇万円を財産分与するのが相当である。したがって、被控訴人は控訴人に対し財産分与として金七〇〇万円及びこれに対する本判決確定の日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。

四  次に、被控訴人の慰藉料請求について検討するに、前述したとおり、控訴人と被控訴人間の婚姻関係が破綻したことについては、被控訴人もまたその責任の一端を担うべきものであり、前認定の諸般の事情を考慮しても、被控訴人との婚姻関係を破綻させるについて控訴人の側に不法行為を構成すると評価するに足るほどの事実があるとは認めがたく、したがって、この点に関する被控訴人の請求は理由がない。

五  以上の次第であるから、これと一部結論を異にする原判決は右説示の限度で変更し、被控訴人の附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡垣學 裁判官 磯部喬 大塚一郎)

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